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龍馬の生き方に学ぶ 1 「龍馬を育てた土佐の風土」

4 月 17th, 2010 | By admin | Category: コラム

歴史をとらえる視点

歴史の面白さは「古きを訪ねて新しきを知る」ことである。それは、現代を生きる知恵につながる。歴史は為政者(勝ち組)に都合のよいことだけが残っていく傾向がある。そして、為政者は歴史を創作することもでき、負け組の歴史は抹殺されることもある。
したがって、歴史は複眼(勝ち組と負け組の両方から)で捉える視点がなければ、本当の歴史を知ることにはならない。
歴史には激動期や変革期が必ずある。平穏な時代であっても、そこには目に見えない次の時代に変わる必然性、言ってみれば地下のマグマのような動きがある。
このような時代の変遷を解き明かすカギを見つけることも歴史を知る醍醐味である。

私の龍馬研究入門

幕末、明治維新の激動期は、21世紀の現在と重ね合わせてみても類似点がいっぱいありそうだ。
私の龍馬研究入門は、これまでの歴史の教訓から、本当の、そして、真っ当な「にんげんらしい生き方とは何か」の示唆を与えてくれそうな、そんな特別の期待から、龍馬の志、龍馬の人間像を学ぼうと思ったのである。
そして、その延長線上に、龍馬的人間、龍馬的発想、龍馬の志を受け継いだと思われる人間を探すのが、私の龍馬研究の夢である。

太平洋が育む土佐の風土

龍馬が自分の藩だけに捉われない行動をとるようになった素地は、一体どこからきているのだろうか。それは、私が実際に桂浜に立った時に直感的に閃いたのであるが、龍馬は幼少の時から「太平洋」を見て育ったということである。
また、土佐の歴史的風土を見ても、関ヶ原以降の山内家の移封などで土着性が薄められ、幕末の各藩の動きの中では、公武合体論や大政奉還の建議にも見られるように、中庸の考え方や、全体を見るバランス感覚を持っていたように思える。
このことはまた、明治維新後の薩摩中心の藩閥政治に抗して、板垣退助らによる自由民権運動発祥の地盤を支えた土地柄にも見られるように、「太平洋を見て育つ」県民性にもつながっていくのかもしれない。
龍馬の志のコンセプトには、ノーボーダー(広大無限)、ドントマインド(無位無欲)、ウイズメニィー(共存共栄)があるように思えるのだが、いかがであろうか。

龍馬は駆け巡る

龍馬は嘉永6年(1953)、17歳の時に剣術修行のため江戸に出るが、この年、奇しくも黒船の来航を目の当たりにする。
この事件は龍馬の将来の生き方に衝撃的な影響を与えたと言っても過言ではない。
彼の性格は茫洋としていて、大胆なところもあるが、また、人懐っこく、人の心を虜にする特技を持ち合わせていたようだ。
彼自身を成長させたのは、ずば抜けた行動力だ。これはと思う人の門を叩き、優れた知恵を吸収し、休む間もなく奔走した。しかし、志半ばで大きく散った。

龍馬は今も生きている

龍馬が没してすでに142年も経った。まさに「龍馬は遠くなりにけり」であるが、龍馬への思い、憧れは増すばかりである。
私は、龍馬の究極の願いは「人類の平和」「世界平和」の実現につながっていると思っている。龍馬の「洗濯論」は、自分の藩だけのことではない。国のことである。それは一国のことではない。世界のなかでの国のことである。そして、その世界は、生きとし生きるすべてのもののためである。
龍馬の思想をそこまで広げて考えてみると、私の夢は大きくふくらみ、さらに大きな勇気が沸いてくる。
そして、龍馬の志につながる龍馬的人間が、その後、きっといたに違いないと思うのである。
それは、今のところあくまで仮説であるが、私の頭のなかで浮かんできたのは次の4人、新渡戸稲造、宮澤賢治、石橋湛山、白州次郎である。
どうしてかと思われるに違いないが、次号から私なりの解釈で書き進めたい。(つづく)

河地 良一(北海道龍馬会理事)

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